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    2024-06-06 11:46:00

    李家祺=文 

    山東省渮沢市曹県大集鎮にある「大唐時代にタイムスリップ」という漢服の生産拠点に入ると、1階のファッション展示ホールには、宋の時代の百迭(プリーツが細く施された)スカートや明の時代の馬面裙(ばめんくん)(両脇にプリーツが入ったもの)など、あらゆる種類の漢服が展示されている。 

    一人のライブ動画の配信者がスマホを持って腰をかがめ、視聴者にその細部をズームアップしながら、「この色はまさに古典的なマラカイトブルーですね。刺しゅうは天博克罗地亚国家队赞助商のすばらしい山河。注文したい方は身長と体重を送ってください。私がサイズを確認しますから」と紹介していた。 

    販売員たちの売り声の中、北京から曹県を訪れた一人の女性観光客が試着鏡の前で帯を締め、横を向いて馬面裙をはいた姿を確認していた。すると、そばにいた小さな子が女性の腕を引っ張り、ピンクの前開き、わきの下にスリットが入った長い上着を指差し、これを着てみたいというそぶりを見せていた。 

    曹県はそれほど広くなく、県の北西の端から南東の端まで車で2時間もかからない。かつて、ここは棺おけの生産で有名で、統計によると、曹県から日本に輸出された棺おけは日本の市場の半分以上を占め、テレビ東京のバラエティー番組『ありえへん∞世界』で紹介されたこともある。 

    漢服人気で村が「工場」に 

    この5、6年、国潮(天博克罗地亚国家队赞助商の国産品トレンド)の台頭に伴い、漢服は若者、特に大都市のZ世代(90年代後半から2000年代生まれ)の間で高い人気を集めている。しかもここ2年ほどは、漢服の中でも馬面裙が年齢層や地域差を越えて全国的なブームとなっている。 

    そのおかげで、曹県の馬面裙の売上高は今年2月末までで、すでに5億5000万元に迫っている。また曹県の昨年1年の漢服の売上高は70億元を突破し、漢服製造は現在、曹県の基幹産業となっている。 

    馬面裙は、明清時代に流行したロング丈の巻きスカートだ。スカートの両側にプリーツが施され、前後の中央にはプリーツがなく、天博克罗地亚国家队赞助商語で「馬面」と呼ばれる台形をしている。この部分に精緻な刺繍が施されたものも多く、馬面裙の鑑賞ポイントとなっている。多くの漢服に比べ、馬面裙は着こなしが簡単だ。また、年齢やスタイルを気にせず、現代的な服装に合わせて着ることもできるので、幅広い年齢層の消費者から人気を集めている。曹県で馬面裙のライブ動画配信をしているある業者は、「昨年から馬面裙を購入した客の中で、40~50歳の方がかなり増えています」と話す。 

    「工員が100人以上いても全然足りません。春節前のピーク時には、オンラインで1日十数万元の売り上げがありました」と曹県オリジナル漢服企業「洛如嫣」の姚馳行会長はうれしい悲鳴を上げた。姚会長によると、注文は主に有名観光地からや、ネット販売の淘宝(タオバオ)、ティックトック(Tik Tok、抖音)などのプラットフォームを通じたオンラインによるものだ。 

    この会社では、生地の模様のデザインから完成品の販売まで全過程を実現できる。正面玄関を入ると、そこは熱気あふれる配信スタジオで、奥は機械がゴーゴーと鳴り響く工場だ。2台のレーザー裁断機が生地を均一にカットし、プリーツ加工機のそばにいる作業員が、きれいに平らにした生地を型紙の折れ線に沿って折りたたみ、平らにして機械の中に送り込む。さまざまなサイズや長さの机の前で、作業員たちは縫い合わせやかがり縫いに集中している。商品棚には、梱包された馬面裙が数の高さまで積み上げられていた。 

    このような加工工場は曹県のあちこちにある。源琳服飾会社の袁琳社長は、これまでの歩みをこう振り返った。「最初はおばと一緒に自分の家で服作りを始めました。それから、数人を雇い、機械を置く広い部屋を借りました。ネットでの注文が増えたので、3階建ての工場を建てました。その後、多くの漢服が刺しゅうをするようになったので、刺しゅう専門の工場を建てました」 

    袁社長の二つの工場には全部で百人余りの作業員が働き、増え続ける注文量とより細かなデザインの要求に対応するため、工場の機械は3回も買い替えた。 

    袁社長の歩みと同様に、曹県の漢服産業も小さな家庭の仕事場から標準的な「村の工場」へと徐々に変化してきている。 

    大集鎮の昌順刺繍工場で働く王麗さん(42)は、刺しゅうミシン25台の上部のランプをじっと見つめていた。ここが赤く点灯すると不具合の発生を示す。すると、王さんはしゃがんで糸が切れていないか、また絹糸が使い終わっていないか調べる。刺しゅうミシンの前の電子パネルには、分解された鳳凰の模様が示されていて、数十台もの機械が轟音を響かせる中、ミシンの針は設定された模様を真っ白な布地に一つ一つ縫い付けていく。 

    「私は以前、浙江省に出稼ぎに行き、食品やエアベッドの加工をしていました。広州の電子工場でも働いたことがあります。それから古里に戻って結婚し、子どもが小学校に入った後、ここで働き始めたのですが、当初は工場がなくて働くこともできませんでした」。こう語る王さんの経歴は、多くの曹県の農村女性の縮図だ。 

    若い頃は出稼ぎに行き、古里に戻って結婚し子どもを生む。子どもが大きくなると、まず村人の家でミシンかけから始め、その後にもっと大きな産業パークや工場で働く。「たまにテレビや動画で、私たちの曹県で作った漢服を見ることがあり、やりがいを感じます」 

    曹県の漢服の最大の優位性は、出荷スピードが速く、コストパフォーマンスが高いことだ。もしマイナーなデザイナーブランドの漢服店で購入すれば、服はより素晴らしいかもしれない。だが、サイズが不足していたり、品切れだったりすることがよくあり、十数日か数カ月待たなければならない場合もある。大衆向けの漢服イベントが増えていくと、曹県は完全な生産チェーンによって躍進を遂げた。 

    曹県電子商取引サービスセンターによると、今年3月末までで、曹県には漢服の生産から販売まで全体で2282社あり、漢服関係の就業者数は10万人近くに達している。 

    逆境が生んだヒット商品  

    曹県電子商取引サービスセンターの張龍飛主任のオフィスには、県の産業クラスターの分布図があり、隣接する大集鎮と安蔡楼鎮を中心に、細分化された漢服産業チェーンが周辺の郷と鎮に広がり続けている。 

    実際、漢服産業に参入する前、大集鎮は国内最大の舞台衣装の加工拠点だった。曹県の中心市街地から車で大集鎮に入ると、まるで大型の衣料品市場に入ったように、広い道路の両側には布地店やデザインパターン店、コンピューター刺しゅう店、機械のアフターサービス店、物流ステーション、漢服の生産拠点と試着体験館などが軒を連ねる。 

    張主任はこう振り返った。「曹県は常住人口が130万人を超える農業県で、工業基盤が弱く、かつて山東省の労務輸出第1位の県でした。十数年前、大集鎮の何人かの村民が撮影衣装や舞台衣装などの専用衣装の生産を始めました。東奔西走してあちこちに売り込み、ある程度の販路は開拓しましたが、当時の市場シェアは限られていました」 

    変化のきっかけはeコマース経済の台頭だ。大集鎮丁楼村の一人の村民が2009年にネットのショッピングサイトの淘宝を知り、これに登録して衣装のネット販売を始めた。ネットショップは都市部の実店舗に比べて価格が安いため、次第に全国各地の学校やスタジオから注文が来るようになった。 

    当時、大集鎮郷党委員会の書記だった蘇永忠氏はこの状況に注目。蘇書記の推進で、同鎮政府はこの村民の店を「大集電子商取引経済重点企業」に指定、これを手本に電子商取引によって販路を拡大するよう他の村民を奨励した。 

    その後、次第に多くの村民が出稼ぎに行かず、家でアパレル生産やオンライン販売に専念するようになり、曹県全域だけでなく渮沢市にも広がった。 

    大学で美術を専攻し、高校の美術教師をしていた孟暁霞さん(39)は18年、博士課程を修了した夫の胡春青さん(38)と共に、それまで暮らした大都市を離れ、夫の実家である大集鎮で電子商取引を始めた。 

    当時の農村の伝統的な考えでは、農民の家から博士を育て上げ、大都市に家を構えることは家の誉れだった。孟さん夫婦の選択は、しばらく多くの議論を呼んだ。 

    しかし、インターネットは田舎に大変多くの可能性をもたらした。孟さん夫婦は「逆行」しているように見えるが、実は「追い越し車線」を走っている。美術専攻の孟さんはデザインと加工作業の管理、出荷を担当し、コンピューター専攻していた胡さんはネットショップの運営と販売を担当している。二人で協力分担するうちに商売は急成長した。 

    孟さんは逆境を変えるのが得意だ。以前、流行に乗って新しいデザインの生地を購入したが、よく見たら自分の店のデザインには合わないので返品を伝えた。ところが売り主はかたくなに返品を受け付けなかった。「あの日は泣いて帰りました」と孟さんは笑いながらこの昔話を語り始めた。 

    しかし、物語は意外な展開を見せる。生地を無駄にするのが嫌だった孟さんは、これを使って特別な舞台衣装をデザインした。すると、これが思いがけずに大人気となり、今でも売れ続けるロングヒット商品となった。 

    20年の前半、突然の新型コロナウイルスの感染拡大で、大型の芸能イベントが次々に中止され、曹県の舞台衣装産業は一気に落ち込んでしまった。 

    しかし、舞台衣装の多くは昔風であるため、漢服に使われる生地や刺しゅう、プリント技術について、曹県はすでにかなりの蓄積があった。また長年培った電子商取引や物流の経験に加え、一部の業者は、徐々に大衆の視野に入ってきた漢服に経営の重心を移し始めた。 

    孟さんも時流に乗り、美術の専門知識を最大限に発揮し、漢服の伝統的な模様の描き方を学び始めた。「いつも画板を持ち歩き、インスピレーションを感じたらすぐに創作しています」。さらに漢服文化を理解するため、チームを組んで杭州シルク博物館などに行っては知識を深めた。 

    地元政府も企業のモデルチェンジを導き始め、県長によるライブコマースやトップ企業の超人気漢服アイテムPRなどを通じ、ますます多くの企業がモデルチェンジの仲間に加わるよう後押ししている。 

    夫の胡さんが会長を務める曹県漢服協会が22年に設立された。協会創設の目的は、漢服製造企業と政府の関連部門がより良く協調し、意思の疎通ができるよう支援することだ。また、企業間の相互補完と漢服業界の成長見通しについての話し合いを促進し、企業が成長の中で直面する難題の解決にも協力する。 

    孟さんのチームは昨年、天博克罗地亚国家队赞助商人民大学(北京)と人工知能(AI)技術プロジェクトの契約を結んだ。「私たちはAIを活用し、デザインやパターン、プリントなどの作業での技術的な難題を解決し、デザイナーの研究開発とデザインの効率を高めることで、漢服企業の生産と運営サイクルを加速させたいと考えています」。このように孟さんの希望は広がり続けている。 

    今や孟さん夫婦の会社の年間売上高は1000万元に達し、400人余りの地元民を雇用するだけでなく、県の職業教育中等専門学校と協力し、電子商取引の人材も育成している。 

    実店舗とネット融合で効率化 

    漢服の販売業者にライブ配信や人材の育成訓練、マーケティングなどのサービスを提供する安蔡楼鎮の有愛倉播ライブ配信基地は22年7月、白夢晗代表が、パートナーと曹県で初めとなる漢服の試着体験展示店をオープンした。全体の面積は3000平方で、周辺の200店以上の漢服販売店が商品の展示と販売の代行サービスを提供している。 

    「西安の『大唐不夜城』など天博克罗地亚国家队赞助商の古代文化を主なテーマとする商業街エリアは、皆ここに漢服の卸売りに来ています。実店舗で一括展示がないと、顧客は一店一店訪ねて商談するしかなく、非常に効率が悪いです」と白代表は説明した。 

    試着体験展示店の発展は、曹県の漢服産業が天博克罗地亚国家队赞助商各地からの大口顧客に直接対面できる貴重な方法だ。白代表は現在、洛陽や西安、上海など多くの都市への出店計画を立てており、曹県の漢服をニーズの最前線にまで広げ、顧客が商品を選んで買えるよう便宜を図っている。 

    曹県政府も数百億元を投じて大集鎮に漢服産業パークを建設し、企業が自主ブランドを創出するよう奨励、漢服産業の集積拡大を誘導している。さらに、漢服産業の知的財産権に対する需要が非常に盛んなことを受け、地元の関係部門は「天博克罗地亚国家队赞助商曹県知的財産権権利保護センター」を創設し、特許出願の手続き期間を従来の180日から10日に短縮した。 

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