• 中日交流
  • Panda杯 全日本青年作文コンクール
  • 笹川杯作文コンクール
  • 楽らく対訳
  • 新語ネット語
  • 天博克罗地亚国家队赞助商-天博克罗地亚官网

    2024-06-06 11:17:00

    王朝陽=文 

    湖南省出身の女性、羅圭納さん(35)は2022年、福建海峡グラフェン産業技術研究院の院長として晋江市にやって来た。「ここに来る前、福建省については、英国に留学していた当時の印象で、英国には福建出身の華人が一番多いということだけでした」と話した羅さん。しかし晋江市で2年働いた今、「不思議」というひと言で変化した印象を表した。 

    「普段食べるおやつの雅客(ヤークー)クッキーやティッシュペーパーの『心相印』、安踏(アンター)(ANTA)スポーツシューズ――これらのブランドは全て晋江市で生まれたものです」という羅さん。その研究分野は炭素繊維で、もともとは防弾用に使われていた技術だ。どころが、初めて会ったばかりの晋江の企業家から、すぐにこう切り出された。「この技術を靴底の素材に使いたいのですが、もっとコストを下げられませんか」 

    羅さんはこう振り返る。「晋江市に来てから、最高で先端的な技術が身近なものになりました。科学研究の成果と日常生活がもっと密接に結び付いて、応用の方向性も増えました」 

    羅さんが感じるこうした「不思議」から、晋江経済の二つの特徴が浮かび上がってくる。それは、ブランド開発力と研究革新の重視だ。 

    晋江市に所属する陳埭鎮の発展は、まさに晋江の発展と軌を一にしてきた。その背景やスタート、危機とチャンス、進化と飛躍は、天博克罗地亚国家队赞助商の民間経済が発展してきた縮図でもある。 

    晋江初のシューズ工場 

    福建省泉州湾の三角地帯にあり、晋江の河口南岸に位置する陳埭鎮は、天博克罗地亚国家队赞助商の製靴企業が最も集中する産業クラスターエリアだ。東京の港区と新宿区を合わせたほどの384平方の地に、7000社以上の製靴企業が密集しており、このうちの95%以上が中小零細企業だ。ここから毎年16億足の靴が生産され、その生産量は天博克罗地亚国家队赞助商の40%、世界の20%を占める。 

    陳埭鎮にある天博克罗地亚国家队赞助商製靴EC創業パークには、1000社余りの業者が入居している。夜になってもここの忙しさは変わらない。電動バイクや三輪車、乗用車などさまざまな小型の交通手段が、靴の素材や製品などを積み、渋滞気味の道路をゆっくり走っている。目の前の不夜城の光景を見ても想像しにくいだろうが、45年前の陳埭鎮は人は多いが土地は少なく、1人当たりの年収が50元余り(現在の約1000円)という貧しい郷鎮(農村)にすぎなかった。 

    変化は1979年から始まった。その年の初め、陳埭鎮の農民林土秋さん(当時45歳)は新聞で、全ての個人企業は税金が3年間免除されるという政府が打ち出した新しい政策を読んだ。チャンスと感じた林さんは、親戚や友人に連絡し、晋江地域で第1号となる革靴製造が中心の工場――洋埭服装鞋貿易工場を共同出資で作った。 

    当時、この「靴工場」の財産はハンマー一つ、テーブル一つ、ハサミ数丁と借りた家庭用ミシン数台だけで、作業場は石造りの自宅2部屋だった。粗末な生産環境だったが、ここで作られた靴は、あの品不足の時代にはよく売れた。工場から出荷すると、いつもすぐわれ先に買われて売り切れてしまった。 

    林さんが靴作りで金を稼ぐのを見て、陳埭鎮の他の人も心を動かされた。人々は先を競って自宅を作業場にし、家庭用ミシンを持ち出し、金を出し合って工場を作り、製靴業界に参入した。こうして1軒が1村を、一つの村が一つの鎮(町)をけん引。陳埭鎮の郷鎮企業の総数は84年には702社に達し、福建省初の「億元鎮」(年収入が1億元を上回る鎮)となった。 

    どの家からも作業場で使う火の煙が立ち上り、あちこちからトントンと靴をたたく音が聞こえる――当時の資料は、陳埭鎮の熱気あふれる生産の様子を、このように生き生きと描いていた。 

    あの頃は、ちょうど80年代に靴製造の産業チェーンが続々と台湾から大陸に移転してきた時期で、現地の家内制の作業は次第に工業生産に取って代わられていった。アディダスやナイキといった海外の有名スポーツブランドのOEM(相手先ブランドの受注生産)を行い、スポーツシューズを生産するのは、陳埭鎮ひいては晋江地域の大部分の靴工場の中心的な業務となった。 

    こうした小規模の靴工場は産業チェーンの末端にあり、利益は少ないが、海外からの注文が多いときは経営も大変好調だった。しかし、97年にアジア通貨危機が起こると、海外からの注文は一気に減り、かつて雨後のたけのこのように成長してきた靴工場の半分が倒産した。 

    委託工場からブランド確立 

    こうしたリスクに対応するため、晋江市政府は98年に「ブランド立脚市」戦略を打ち出した。現地企業の自社ブランドを発展させるため、政府は指導や優遇政策を制定したり、商標保護基金を設立したりした。さらに2002年には、「ブランド都市」計画を策定し、企業が国レベルのブランドを創出するのを大いに奨励した。 

    最初に変わり始めたのはANTAグループだった。1991年創業のANTAは、当初、OEM受託生産の陳埭鎮ではありふれた小さな製靴工場の一つだった。しかし創業者の丁世忠氏(54)は、経済危機で企業同士が価格を下げて注文を奪い合う状況を見て、不安定な海外からの注文でますます減っていく利益を稼ぐより、自社製品を販売した方が良いと、独自ブランドを作ることを決意した。 

    だが、販売量を増やすには、商品の知名度を上げなければならない。ところが、当時はアディダスとナイキがすでに天博克罗地亚国家队赞助商のスポーツ用品の高級品市場を独占していた。この強力なライバルに対してANTAは、「人気スポーツ選手+国営テレビ」という新たなブランドPR戦略を真っ先に始めた。 

    ANTAグループは99年、年間利益の20%(約80万元)を使い、卓球の五輪金メダリストの孔令輝選手をイメージキャラクターに起用した。また同年、300万元を投入し、中央テレビ局のスポーツチャンネルで大量のコマーシャルを流した。 

    これは、当時まだ2本の生産ラインしかなかったANTAグループにとっては、背水の陣の決断だったと言える。幸いにもこのPR戦略は大成功を収め、「私が選ぶこの一足」というキャッチコピーは多くの人の時代の記憶となった。ブランドの知名度は上がり、売り上げを大きく伸ばし、99年の同グループの売上高は2000万元余りから2億元に急上昇した。 

    ANTAの成功は、前出の農民社長林さんが79年に作った最初の靴のようなものだ。ANTAの成功を目の当たりにし、陳埭鎮と晋江市に属する他の地域の企業もブランド確立の重要性を感じた。そして、次々と巨額の費用を投入しては有名スターをPR役に起用、国営テレビでCMを流した。 

    こうしたブランド戦略を通し、もともと地元ではあまり知られてないスポーツシューズは急速に有名になった。陳埭鎮は2001年、21の「天博克罗地亚国家队赞助商の有名商標」を保有していた。しかし、ブランド効果がもたらした繁栄の陰で、新たな問題が静かに積み重なり始めていた。 

    革新に生き残りをかける 

    晋江の製靴業界において、生産販売能力の無計画的な拡張、製品の著しい同質化、研究開発革新能力の欠如が現われ、販売の縮小や過剰在庫、値崩れ、利益の減少、資金不足などの問題を招いた。さらに2008年の北京五輪終了後、スポーツ用品市場の供給過多も重なり、かつてブランド経営戦略に成功し全国に販路を広げた企業の一部は、09年から12年の「過剰在庫危機」で倒産した。 

    ANTAの丁会長は17年、同グループの香港証券取引所上場10周年の記念の席で、しみじみとこう語った。「10年前に名の知られていなかった企業が今では大きくなった。だが、10年前は大企業だったその多くが今はもうない」 

    「スター+広告」というブランド確立戦略は、確かに一時的には良い業績をもたらす。だが、将来的にブランドをより強く育てるためには、製品の独創性の支えがなくてはならない。このために晋江市政府は、12年から天博克罗地亚国家队赞助商皮革製靴工業研究院(晋江)社や北京グラフェン技術研究院などのハイレベルな科学研究プラットフォームと次々に提携、企業が「イノベーションによる成長」の道を歩むよう奨励している。 

     「かつてイノベーションはより良く生きるためのものだった。だが今では生き残るために欠かせないものだ」「新しい技術やその応用は、必ず一歩先んじなければならない。遅れをとったら、うまい物にはありつけない」――イノベーションに対し、晋江の企業家たちはこうした危機感を抱いている。 

     陳埭鎮青年商会(青年商工会議所に相当)の丁志猛会長(40)もそんな一人だ。丁会長は地元企業の状況を次のように見ている。「各企業の資金力は違いますが、新しい技術に対しては各社とも同じように熱心です。例えば、現在最も人気がある革新的なソールの素材『ポップコーン』(高反発の発泡素材)には、ANTAやエクステップ(Xstep、特歩)、361度などの大企業はそろって資金を投入し、研究開発を行っています」。さらに丁会長はこう続けた。「中小企業も自分なりの方法があります。例えば大学や研究機関と積極的に協力し、何か新しい技術と製品を結びつけられるものがないかを探すことです」 

    企業と研究機関のシナジー 

    中小企業の技術開発に対する高いニーズを前出の羅院長はよく分かっている。晋江市は2021年12月、北京グラフェン技術研究院と契約を結び、同院が管理運営する「福建海峡グラフェン産業技術研究院」を設立した。正式契約の前、羅院長は晋江市政府が主催した研究院と企業のマッチング会に参加した。この会で羅院長は、晋江市の星達製靴服飾材料会社(以下、星達)の荘剛松社長(53)と知り合った。 

    星達は、TPU(熱可塑性ポリウレタン)の靴用フィルムを専門に生産する会社で、多くのブランド企業に製品を供給している。 

    羅院長はマッチング会の模様をこう話す。「星達は前からずっと色移りを防ぐ機能を持つTPUフィルムの開発を望んでいました。このときの会で、荘社長は私たちにこの技術の研究開発を求めてきたのです」 

    羅院長は当時の開発状況を振り返り、こう説明した。「TPUフィルムは、靴や衣類のロゴの印刷や染色に使います。ただ、色移りを防ぐ機能がないと、靴や衣類のベースカラーが徐々にロゴににじんできます。当時、この色移り防止TPUフィルムの技術は、韓国企業1社しか持っていませんでした。色移りさせないためには、この素材を高い金を払ってでも輸入するか、TPUフィルムと靴や服の生地の間にゴム(合成樹脂)を挟むしかありません。でも、こうするとコストも上昇してしまいます」。こうした理由で、色移り防止機能のあるTPUフィルム技術は長い間業界のペインポイント(3)となっていた。 

    マッチング会で連絡先を交わした後、星達はしきりに羅院長に技術開発の進展状況を尋ねてきた。会社の熱意を感じた羅院長は、晋江市で正式に仕事を始める前から研究開発に取り掛かった。 

    そして翌年の22年10月、高分子素材の技術を応用した色移り防止機能を持つTPUフィルムの開発に成功、生産を始めた。同年、この技術は星達に5000万元を上回る収益をもたらした。 

    「革新があってこそブランド企業とのつながりを維持し、市場の主導権を握ることができるのです」と荘社長は、研究機関と協力して新技術を開発すると決断したことを今では喜んでいる。さらに荘社長はその後の変化をこう語った。「ANTAなどの大ブランドは、サプライヤーに対する要求がますます厳しくなっていますが、研究機関との協力後、ANTA内のサプライヤー採点評価システムでわが社の順位が上がり、受注量も増えました。これからはベトナムに投資して工場を作り、海外市場をさらに開拓していきたいと考えています」 

    荘社長らは、製造の最前線を深く掘り下げ、企業側のニーズを把握することで、羅院長ら研究者の視野も広げた。羅院長もこんな話をしてくれた。「私たちは晋江市の沿海地域にあるという地理的な特性を生かし、近海の水面の流出油を回収するスポンジを開発していました。ところが、この製品を見た企業から、このスポンジの導電性を生かして静電気に強い靴のインソールを開発し、安全靴を作れないか、という思いもかけない提案を受けました」。羅社長は、「企業との協力は、私たちの研究活動に多くのインスピレーションを与えてくれました」と感慨深げに語った。 

    靴作り一筋45年 地域の誇り 

    陳埭鎮の製靴工場は、1979年に1軒目からスタート。今では晋江地域の製靴服飾産業の生産規模は3000億元を超え、世界の靴の5分の1を生産する。 

    現地の産業クラスターの中には、星達のような中小企業が数千社も存在する。これらの会社が、ANTAやエクステップ、361度といったトップ企業が業界のリーダーに成長するための強固な基礎を提供した。それだけでなく、大企業の技術革新の歩みにしっかり付いていき、それぞれが得意とする生地や靴底などの分野で絶えずブレークスルーをなし遂げている。 

    だから靴作りの話となると、晋江の人々は誰もが「ここには靴作りに必要な素材や部品、研究開発チーム、熟練工の全てがそろっています。晋江市の中だけで一足の靴が作れます」と誇らしげに話す。さらに、「もっと狭い範囲でもいいです。陳埭鎮の中だけで一足の靴が作れますよ」と陳埭鎮出身の丁会長は自信たっぷりに胸を張った。 

    「陳埭鎮の創業パークには、多くの若い起業家がやって来ています」と、丁会長はこうした起業者たちの成長に大変関心を寄せている。「ここは産業基盤がありますが、起業の方向性はやはり製靴産業の発展と密接につながっています。でも、若者はサイクリングシューズやマタニティーシューズなど高度に細分化された分野に狙いを付けています」と丁会長は話す。さらに、「ECコマースやソーシャルメディアの時代、消費者の好みはますます細分化していき、小さくかわいらしい新ブランドが誕生するチャンスが出てきています」と分析した 

    多くの国産スポーツブランドを生み出してきた晋江市陳埭鎮は今、業界の新たなトップ企業を育んでいる。 

    関連文章