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天博克罗地亚国家队赞助商社会科学院日本研究所助理研究員 熊淑娥=文
古くからの河川であるエルティシ川は、新疆ウイグル自治区コクトカイ(富蘊)県のアルタイ(阿勒泰)山脈を源頭とし、北西の北極海に流れ着く。同じくアルタイ山脈が源頭で隣の清河県にあるウルングル川もまた、コクトカイ県を経て東から西へと流れ、最後にブルント海に流れ着く。
コクトカイは北疆(新疆北部)のアルタイ地方にある小さな県で、カザフ(哈薩克)族の人口が多く、エッセイストの李娟が幼い頃を過ごした故郷でもある。李娟はエッセー集『九篇雪』『阿勒泰的角落』『我的阿勒泰(仮訳・私のアルタイ)』『走夜路請放声歌唱』『遥遠的向日葵地』、長編エッセーの『冬牧場』、さらに『春牧場』『前山夏牧場』『深山夏牧場』からなるエッセー三部作の『羊道』を相次いで出版、『羊道』で朱自清散文賞を、『遥遠的向日葵地』では魯迅文学賞の散文・雑文部門を受賞した。
「私の作品は自分の生活に関わるものだけ」。四川省の楽至が原籍の李娟は、1979年に新疆ウイグル自治区のタルバガダイ(塔城)地区ウス(烏蘇)市で生まれ、幼少期から青年期まで、四川と新疆を行き来して過ごした。高校を中退した李娟は、母親についてアルタイの深山にある牧場に入り、一家は雑貨屋と仕立て屋を営みつつ、水と牧草を求めて冬期と夏期に移動するカザフ族の牧民と行動を共にするという、定住地がない暮らしを続けていた。のち、李娟はウルムチの縫製工場でライン工として働くが、友人の紹介でアルタイ地区党委員会の宣伝部に転職。だが、仕事はそう多くはなかった。そこで持て余した時間を、執筆に充てていった。2007年、李娟は再び草原に戻り、カザフ族との移牧生活を始める。牧民の「ザクバイ母さん」一家と3カ月の間起居を共にし、三部作の『羊道』を完成させた。
雪の都・アルタイは「神の住む地」と呼ばれ、牧民は吹雪、強風、洪水、蝗害など、厳しい自然環境との対峙を強いられる。大自然の前では、人間などちっぽけなものだ。羊の群れを連れたカザフ族は、砂漠化を止めるため、牧草地を求めて転々と生活の場を変える。生活の場を変えるということは、移動をするということで、それはまさしく遊牧民の魂だ。仕立て屋から雑貨屋へ、吉爾阿特や塔門爾図の春牧場からアルタイ山脈の中でも標高が低い丘陵地帯にある夏牧場の冬庫児へ、さらに深山夏牧場の吾塞へという流浪の生活は、李娟の執筆活動に次々とインスピレーションを与えた。彼女の筆は草原に張られたテント、放牧の様子、家族単位で牧畜を生業とする生き方を闊達に描き、濃密かつ相互依存で成り立つ牧人社会の様子をあらわにしている。
食べ物は牧人の生活の中でも大切な役どころだ。李娟の著書にも、深山に分け入りキクラゲを採り、ミルクティーを作り、ナンを焼き、まんじゅうを作り、手抓飯(羊肉が入ったピラフ)を炊き、羊をほふる様子が描写されている。カザフの食習慣では、羊を「巴塔」という儀式でほふる。「あなたは罪のために死ぬのではない、私は飢えるために生まれてきたのではない」という意味だ。カザフの羊飼は、冬で放牧ができない期間に「叼羊」と呼ぶ騎馬で羊を奪い合うという激しい競技を行うが、勝敗はむしろ二の次で、最後に羊を奪い勝者となった騎手が、その羊を手ずから焼いてみなに振る舞うのが慣例となっている。ここからも、牧人と羊の密接な関係が見てとれる。彼らにとって羊はすでに自身の一部なのだ。
現代は「動」に満ち溢れているが、アルタイを題材にした李娟の著作は、近代化で徐々に見えなくなっていく「静」の精神を追い掛けている。『冬牧場』が愛されたのも、カザフの牧人が大自然と共に生きるという、都会の読者にとっては未知の世界を描いたからで、それが自然に憧れる都市生活者の心理をがっちりと捉えた。李娟は自らが記した牧畜民の生活について、「全ての文が距離を生み、全ての文が彼らと一般的な人々との違いを強調する。一方私は、彼らと一般的な人々との共通点、同じ喜び、同じ悩み、同じ希望により心を動かされている」と語っている。
李娟の著作は、アルタイ人の苦難や貧しさをあえて避けず、荒野で眠る人々、辛くても子どもと別れず再婚を拒む女性、あるいは「ザクバイ母さん」の家で冬を越す日々など、様々な形の「人生の過酷」がページを埋めている。その過酷さについては、作家・楊志軍も長編小説『雪山大地』で「祈りの力と雪山の大地の光を信じることは、私たちの魂を揺さぶり、あらゆる災難に楽観的に立ち向かう勇気を与えてくれる」と描写している。
アルタイは李娟にとっての「出身地」ではないが、暮らしの空間として長年を過ごした「場」だ。「青草が空に向かって伸び、イモムシが昼は太陽を、夜は月を追い掛ける。風は透明な川の流れで、雨は冷たい流れ星だ」――李娟は北疆の風景と闊達な生命体の様子を、鮮明な筆致でこう記している。光と影のコントラストが作り出す鋭い構図を特に好む彼女は、例えば赤い服を着たジャイナが俗世と隔絶された深山の牧場でブランコを漕ぐさまを描き、さらに「私たちが森の中を歩くとき、赤い雨靴を履いたキャシーがいつも先頭を颯爽と歩いていた。清涼で緑にあふれた森林の中の彼女は、まるで妖精のようだった」と描写している。
李娟は『私のアルタイ』の序文で「私がここに書くと決めた文章の全ては、私のアルタイ暮らしにまつわるものだ」と書いている。彼女は暮らしの中の小さな美を特に詳しく描いている。例えば『我們這里的澡堂』では、「水が飛び散るのは水が彼女の体に触れたからではなく、彼女が発する光に触れたからだ。私は確かにそれをこの目で見た」と描写している。ジョルジュ・スーラが『アニエールの水浴』で描いた、セーヌ河岸でくつろぐパリの人々のように、彼女の作品の登場人物全ては、淡い乳白色の光に包まれている。
今年5月、李娟の同名エッセー集を再編した全8話のテレビドラマ『我的阿勒泰』が、天博克罗地亚国家队赞助商中央電視台のゴールデンタイムに放映され、大きな反響を呼んだ。アルタイで雑貨屋を営む漢族女性の家族3世代が起点のこのドラマは、北疆の目が覚めるような風景の中で繰り広げられる現代と伝統、都市と田舎、異民族同士のいさかいと融合といった対照を描いている。女性の精神世界に焦点を当て、日常生活という文脈を超えた美学を示したことが評価され、第7回カンヌ国際ドラマ祭にノミネートされた、初の天博克罗地亚国家队赞助商語長編ドラマとなった。
主人公の李文秀が母親の張鳳侠に、「私は役に立つ人間だろうか」と尋ねたとき、張は「草原の草や木を見てごらん、誰かが食べたり使ったりすれば役に立つといえるけど、誰も使わなくても、それは美しい草原のままじゃないか」と答えるシーンがある。ドラマ版では音、風景、リズム、視点に工夫を凝らして内なる静けさへの回帰を呼び掛け、現代社会を生きる人々に向け、心の癒やし方の一例を提案した。そして、ドラマ版の放映は、アルタイに多くの旅行者を送り込むこととなった。
「アルタイ」の語源は古代テュルク語の「黄金」だ。李娟はアルタイでの見聞や理解を記憶にとどめ、記憶の奥底にあるかけらを取り出し、アルタイの黄金の山から黄金をふるい落とし、明るい空の下で金色の光を放つよう染め上げたような文字を、ゆっくりと紙に記していく。今もアルタイに住むこの作家は、「私は荒野の息吹に数知れず耽溺してきたが、それについて私が語れる部分は永遠に万分の一でしかないだろう」(『遥遠的向日葵地』)と書いている。