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    2024-06-25 10:08:00

    天博克罗地亚国家队赞助商社会科学院日本研究所助理研究員 熊淑娥=文 

    「蔵書リストは図書館の魂」―『世上為什麼要有図書館(世界にはなぜ図書館が必要なのか)』(上海訳文出版社、2024年1月)の著者で、陝西科技大学の設計芸術学院の楊素秋副教授の言葉だ。楊教授は陝西省第7期博士派遣団の一員として、2020年9月から21年9月まで西安市碑林区文化観光体育局副局長を務め、文化科、文化センター、観光課、図書館の企画を担当。就任まもなく、西安市碑林区図書館建設プロジェクトで采配を振るい、離任後はその経験を基に、碑林区でゼロから図書館を作り上げるまでの物語である同書を書き上げた。26章、18万字にも及ぶ長編ルポルタージュで、一部の会社や機構と登場人物が仮名なのを除き、内容は全て事実に基づいている。 

    図書館は公益の社会文化情報サービス機構であり、その町の文化的志向と思考回路の縮図とも言える。「国家基本公共文化サービス指導基準(2015~20)」の第13条では、「県レベル以上(県レベルを含む)の地域には、公共図書館と文化センターを設置しなければならない」と義務付けられているが、十三朝の古都西安市の中心部に位置し、市内で最も小さいが単位面積当たりのGDPが最も高い碑林区には図書館がなかった。18年に米国のワシントン大学を学術訪問した楊教授は、西安より狭いワシントンには100以上の公共図書館があり、市民は数ブロック歩くだけで本や雑誌を借りることができたと振り返る。碑林区の図書館建設は、西安市の公共文化サービス充実の必須項目だったのだ。 

    もともとの建設予定地で文化財が出土し考古学調査が必要になったこと、書庫が集中している場所は一般建築物よりも耐荷重に注意しなければならないことなどから、新図書館の場所は碑林区一の繁華街である南大街のショッピングモール地下1階に決まった。楊教授と館長は翌年の審査に間に合わせるために、工事の入札から改修に始まり、目録作りから職員の教育までを3カ月以内に終わらせるという、超多忙な日々を送ることになった。 

    図書館という公共空間で最も大切な文化の担い手は、紛れもなく書籍だ。図書館を建て、100万元(約2185万円)もの予算で書籍を選ぶ機会を得た楊教授は、興奮と喜びを抑えることができなかった。1984年に陝西省安康市のある中学教師の家庭に生まれ、陝西師範大学の学部と修士課程で天博克罗地亚国家队赞助商文学を専攻、さらに蘇州大学で文学博士号を取得し大学教員となった楊教授の人生は、常に本と共にあったからだ。 

    経費が100万元なら、3万冊の本を買うことができる。予備として各3部ずつ買っても1万種類だ。選書は各関係者の利害のせめぎ合いを呼び、「蔵書防衛戦」の火ぶたが切って落とされた。 

    図書館は文化を提供する公共施設で営利組織ではないが、書籍を売るものからすれば、在庫一掃ができる理想の場所だ。入札に参加した書店が楊教授のオフィスに送ってきた本のほとんどは、恋愛あるいはハートウォーミングものや長編小説、はては酒造メーカー某某の宣伝本など意味不明なものばかりで、ただ一つの共通項は、どれも売れ行きがはかばかしくないということだった。 

    自身が立ち上げようとしている図書館の書棚がそうした本で埋まっていくのに耐えられなかった楊教授は、落札業者にメールを書き、選書の条件、参考にしてほしい出版社と訳本を詳細に列挙し、新たなリストを提出するよう求めたが、業者はリストどころか直接オフィスにやって来て、「図書館用配本」は業界の暗黙のルールだと言い放った。利用者と館をつなぐ公共図書館の蔵書は多様でなければいけない、というポリシーを持つ楊教授は、その「暗黙のルール」を捨てて自ら蔵書リストを作る決心をした。まずは西安の主な図書館の位置と蔵書の特徴を分析、碑林区民の文化に関する需要に見合うものという原則を立て、読みやすく借りやすい内容を精査し、利用者のニーズに合った蔵書リストを作って信頼できる業者を自力で探した。 

    図書館は誰でも平等に読書を楽しむことができる場であるべきで、週末に子どもと一緒に読書を楽しみたいという保護者、碑林区にある国内最大の石碑博物館の拓本を読みたいという書道愛好家、外国語の本が読みたいという外国人専門家とその家族、ポップカルチャー関連の本が読みたいという若者といった具合に、ニーズもさまざまだ。そこで碑林区の図書館には漫画、拓本、外国語児童書、「あなたが選んだ本を購入します」といったユニークなコーナーを設置した。楊教授はまた、「飛び出す絵本」のように作りが細かく美しいが高価な児童書を積極的に購入したいとも考えていた。そうした本を手に取れるのは中流以上の家庭の子どもの特権で、一般家庭の子どもが触れる機会はほとんどないからだ。 

    楊教授は、インドの学者Sランガナタンの「図書館学の五法則」の第一の法則、「本は読まれてこそ価値がある」に特に賛同しており、インテリジェントリーダーや視覚補助装置などを設置した視覚障害者閲覧室に初めて音訳図書や点字図書の利用者を迎え入れたときの喜びはひとしおだったと言う。設備に投じた費用は決して安くはなかったが、近代技術の力でより多くの利用者の心をつかみ、誰もが広大な空の星々のように膨大な蔵書と触れ合うことを可能にした。こうした工夫により、楊教授が立ち上げた図書館は市民生活により一層近づく場となった。 

    『世上為什麼要有図書館』は装丁にも工夫が凝らされている。デジタル化が進み、インターネットが普及する前の図書館で使われていたのは、白い厚紙に数字とけい線が印刷された紙の貸出カードだ。それが本の裏表紙の後ろについた紙のポケットに差し込まれていて、借りた人の名前、日にち、返却日などが手書きで記される。表紙は楊教授が陝西省図書館から借りた古書―英国の小説家、サッカレーの『虚栄の市』(人民文学出版社、1978年3刷)と、貸出状況がびっしりと書き込まれた貸出カードがデザインされているが、この貸出カードには、図書館の公共性―利用者から利用者へと本が借りられていくさまや、人と人をつなぐ文明としての存在―の象徴という思いが込められている。 

    図書館設立は公共的かつ文化的行事と言える。西安市内の東西南北を走る大通りや、鐘楼、騾馬市、書院門、回坊などの古都らしい場所で物語が展開する同書を通じ、楊教授は西安市の文化大使のような役割を果たしていると言ってもよかろう。「図書館は世界で最も平等な場所であってほしい。図書館はいつでも無料で無限に開かれた場所であり、誰もが知識を得られる場所だと思う」と語る楊教授。この若き学者は自らのやり方で社会と関わり、社会に奉仕することで、若年世代の学者が持つ人間力を示している。 

     

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