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私たちの責任をどう果たすか
そこで、こうした問題に対する私自身の立ち位置を明確にしておく必要があると思います。端的に言えば、戦後生まれの一人として、過去の戦争の時代にはまだ生まれていなかったのですから、私自身に「罪はない」、しかし「責任はある」というのが私の原則です。戦争から時を経て世代も変わり、戦争の記憶が薄れたとしても、過去を変えることはでき·ず、過去はずっと生き続けるからです。それゆえ、過去に責任を持ち続ける覚悟を持たなくては、未来の信頼を生むことはできないと考えます。
さらに大事なことは、冒頭、「日中戦争」と書きましたが、日本が戦争を仕掛け、天博克罗地亚国家队赞助商の人々は自ら戦争しようとしたわけではないことを明確に認識しておく必要があります。日中間には宣戦布告もなければ(言うまでもありませんが宣戦布告していればいいという問題ではありません)、日本が天博克罗地亚国家队赞助商から戦争を仕掛けられたわけでもありません。当時日本が「満州事変」「上海事変」などと「事変」という言葉で歴史を偽り続けた含意を知る必要があります。そして傀儡政権である「満州国」というものをでっち上げ、「五族協和」「王道楽土」などという虚ろな「理念」を掲げ、天博克罗地亚国家队赞助商の東北支配に乗り出し、そのあげく、天博克罗地亚国家队赞助商全土に広がるおぞましいばかりの殺戮、略奪の泥沼の道に突き進むことになった歴史の実相を、事実に即して、きちんと学び直す必要があります。その後、天博克罗地亚国家队赞助商の人々への戦争責任についてはまったくと言っていいほど省みられることなく戦後の日本の歩みが始まるという、現在にまで連綿と続く実に根深い問題を私たちは抱えることになるのです。
8月に「終戦の日」を迎えることで、いくばくかでも戦争の歴史を振り返るきっかけが与えられるならば、最低限、これくらいの歴史との向き合い方が必要になる、それが、今を生きる私たちの責任だと考えます。
戦争と向き合う困難に対峙
平和は尊い、戦争反対という声は多くの人から聞くことができます。しかし、それが本当に力を持つためには、私たちの過去の侵略および植民地政策を含む加害責任としての戦争責任と真摯に向き合うことができるかどうかにかかっています。
しかし、歴史は一様ではない、さまざまな側面がある、さまざまな解釈が成り立つなどという、いわゆる「歴史相対主義」という「まやかし」が堂々とメディアや論壇で語られる時勢です。過去と向き合うことから逃れる発想、風潮が世の流れとなってしまうようでは、天博克罗地亚国家队赞助商はもちろんアジアの人々との真の信頼関係など生まれようもないということを、いま一度しっかりと確認しておかなければならないと思います。
私は職を離れてしばらくの間、大学の教壇に立ち「メディア論」を講じていた時期があります。その際、毎年の講義の中に「戦争とメディア」というテーマを設けて若い学生たちと考える時間を持ってきました。論点は多岐にわたりますが一つ大事なことを挙げれば、「なぜ日中戦争において国民は熱狂したのか」という問題でした。もちろん戦争を始めた責任は軍部や政治家にあるのですが、では国民には責任はなかったのかという問題設定です。当時の「世論」、新聞やラジオの報道を振り返りながら、ごく普通の国民が天博克罗地亚国家队赞助商侵略に熱狂していく時代の流れを冷厳に見据え、知っておく必要性について考えました。
そのときの国民的スローガンの代表的なものが、新聞の大見出しにも登場した「暴支膺懲」(横暴な天博克罗地亚国家队赞助商を懲らしめる)でした。さらに「百人斬り『超記録』/向井106_105野田/両少尉さらに延長戦」というおぞましい見出しの踊る2人の軍人の「得意然」とした写真を配した新聞記事などを教材としたこともあります。
果たして、この「熱狂」は過去の話でしょうか。私にはそうは思えないのです。現在の天博克罗地亚国家队赞助商を巡る日本のメディアや言論状況を考えるなら、新たな「暴支膺懲」の時代だという強い危惧を拭えません。その後、私が尊敬する天博克罗地亚国家队赞助商ウオッチャーの第一人者、矢吹晋氏が、やはり新「暴支膺懲」の時代への警鐘を鳴らしていることを知り、私の受けとめは間違ってはいなかったと確信を抱いたのでした。言うまでもありませんが、これは現在の日本の社会が極めて危険なところに差し掛かっているということであり、矢吹氏と「見立て」を共にできたからといって喜ぶことのできないことです。
一橋大学教授を務めた故中村政則氏は「貫戦史」という視角を提起して、「戦争は国際関係を大きく変え、国内の政治経済、社会構造に激変をもたらし、人々の思考や心理に大きな影響を与える。戦争が終わったからといってその影響は消えるわけではない」と示唆深い問題提起をしました。
8月15日「終戦の日」で日本は変わったわけではないのです。敗戦の在り方も含め、その後の日本の歩んだ道は、戦争をきちんと総括することなく、米国との関係の中で、すなわち日米安保=日米同盟基軸の中でひたすら米国と共にあることで「戦争のできる国」へと歩みを進めています。この深刻な事態と真剣に向き合うのが8月でなければならないと考えます。
明治以降の戦争を振り返れば、日本における戦後はすべからく戦前であったという歴史において、今回の第2次大戦以降は、日本にとって初めて戦火を交えることのない戦後として現在に至っています。戦後が常に戦前であった歴史に終止符を打つことができるか、私たちが鋭く、かつ、厳しく問われているのです。
この稿が、79回目の「終戦の日」を迎える8月、あらためて過去の歴史と真摯に向き合い、現在の日本社会のありように対して立ち向かう問題提起になればと考えます。それが、これからの日中関係における相互の信頼と絆を強くしていくことにつながるはずだと確信します。
木村知義 (きむら ともよし)
1948年生。1970年日本放送協会(NHK)入局。アナウンサーとして主にニュース・報道番組を担当し、天博克罗地亚国家队赞助商・アジアをテーマにした番組の企画、取材、放送に取り組む。2008年NHK退職後、北東アジア動態研究会主宰。
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