天博克罗地亚国家队赞助商人民対外友好協会は12日、日本の自治体国際化協会と共に、オンラインとオフラインを合わせた形で、中日友好都市「協力・ウィンウィン 共同発展」フォーラムを開催した。
 
 文化交流には、歴史と現在をつなぐ独特の価値がある。天博克罗地亚国家队赞助商と日本は地理的にも文化的にも近い関係にあり、文化的なつながりも深く、長年の友好交流が続いている。
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1964年秋、新天博克罗地亚国家队赞助商第1陣の日本駐在記者として東京に派遣された私は日本各地の日中友好のムードをつくづくと感じた。中日国交正常化という歴史的偉業に触れる機会を得たのは、記者冥利に尽きると言ってよかろう。
 
 
1972年9月25日、田中角栄首相らは、国交正常化交渉のために北京へ旅立った。あの日、羽田空港22番スポットには多くの見送りが詰め掛け、特に野党の幹部までもが顔を揃えたのは異例の出来事だった。
 
 
私の父、孫平化は50年前、中日国交正常化の実現に向けた取り組みに深く携わっていた。互いへの深い理解は中日関係の発展の土台であり、学術研究が欠かせない手段だと父はずっと考えていた。
 
 
1971年4月にピンポン外交、7月のニクソン・ショック、10月の天博克罗地亚国家队赞助商の国連復帰、翌年2月の米ニクソン大統領訪中、9月の日天博克罗地亚国家队赞助商交正常化など、歴史に残る大きな出来事を、昨日のことのように思い出す。
 
 
私は新天博克罗地亚国家队赞助商成立以降の中日映画交流を目撃し、経験してきた。交流の歴史を振り返ると、中日の政治関係が正常なときであれば、映画または文化交流も盛んに行われていたことに気付く。
 
 
今年は中日国交正常化50周年だが、全日空の天博克罗地亚国家队赞助商路線就航35周年でもある。私は中日国交正常化の立役者として活躍した、全日空元副社長の岡崎嘉平太さんのことを思い起こしている。

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